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■究極の鏡
よく耳にする言葉を、もう一度書いてみます。
・ 他人は自分の鏡
・ 人の振り見て我が振りなおせ
・ 全ての現象は、自分の内的世界の現れである
などなど。。。です。
と、言うことは。。。
例えば、ふと思ったことを、なんの考えもなく言っただけなのに、突然相手が怒ってしまい、なんだか文句を言われた上に、こちらの性格的なことなども指摘されたりして、ぐさぐさ傷つき、悔しいやら悲しいやら、どうして良いのかわからない状態になってしまった。。。
という現象があったとして。。。
ここから学べることを探してみます。
・ 相手の表現で、とても傷ついてしまったので、ほかの人には、同様の表現はしないように気をつける。
・ 些細なことで、怒られてしまったと思っているのは自分だけで、もしかしたら、そこまで相手を怒らせる何かをすでにしていたのかもしれないと反省する。
・ 全ての現象が自分の内的世界の現われならば、自分の内側に「怒り」がたまっており、今にも爆発しようとしているのだと知る。
こんなところでしょうか?
基本的に、怒りの場合は、怒った方、こだわった方に抱えている問題があります。
怒られた方は「なぜこの人を怒らせてしまうような現実を呼んだのだろう?」と考えるチャンスです。
「あの人が勝手に怒ったんだから、あの人の勝手よ〜〜」では循環が起きません。。
また「こっちは、わけが分からないのだから、あっちが悪いんだ」じゃ、どうしようもありません。
ましてや「絶対、相手が間違っているんだから、私は悪くない」と思い込んで、自分を正当化させる理由をあれこれ考えて眠れないなど、健康的ではありません。
人と人が関わって起きた現象は、双方に必要性があるために、それらの現象を引き起こしています。一方的なことは、残念ながらありません。
全ての現象を、自分が自分の成長の為に引き寄せたんだと、謙虚に受け止め、調和的な解釈と、調和的な対処を心がけると、どんなに理不尽だと思えることでも、自分にとってはかけがえのない体験となり、一見、嫌なその相手の方も、嫌な役を演じてくださった、大事な方に見えてきます。
が! その現象が、あまりにもひどい場合は、癒しが必要です。
あちこちで言っていますが、癒しが先で、学びは次です。
傷は癒し、そして、学びたくなったら、学びましょう。
一足飛びに学ぼうとしても、それは、傷口に塩を塗りこむようなもので、智慧にたどり着く前に疲れてしまいます。
もしくは「私は前世が。。。」とか「成長のためのプロセスなの。。。」とか、非現実の世界へ逃避してしまいます。
学びとは、とても現実的です。
現実的過ぎて苦痛が伴うのでしたら、癒しましょう。
そして、癒しが自分に力を与えてくれてから、学んでみましょう。
さて、癒しが終わり、学びたくなって来ましたら「どうして。。。なんだろう?」のような疑問が上がってきます。この時に、自分を正当化したり、他者を批判したり、どちらかを「悪い人」と決め付ける理屈を考えたりしますと、学びのチャンスを逃してしまうこともあります。
癒しは、自分に強さも与えてくれます。
もし、自分を正当化してしまったり、自分を被害者のように仕立て上げたりしてしまうのでしたら、癒しは終わってないのだろうと思います。
中途半端に癒しを終えずに、ちゃんと、じっくりと自分に向き合って、癒すことは、成長への近道でもあるのです。
時に、学びをスキップする技を身につけるのも、癒しの効果です。
「しかし!それにしても!!しかし!!!!いくらなんでもこんな人、私の鏡って勘弁してよ!」と、言いたくなる現象も出てきます。
どう考えても、それは、ひどすぎだ〜〜〜!!
という、場合です。
心当たりはありますか?
極端に言えば、弱者をいじめ社長にへつらう、いやらしい上司とか。
テレビで見た、とんでもない犯罪とか。
いくらなんでも、ここまでは私はしませんよっ!という鏡。
そんなときは、あなたは「究極の鏡」を見ています。
これは、マナの世界の造語です。
究極の鏡は、その現象を通り越した先の自分を映し出します。
ネガティブな感情に流されないように、ぐっと流れに踏ん張り立っている自分。。。
現象は、あまりにも過酷で、「耐えられないよ〜」 と弱音を吐いてしまうこともあるでしょう。
友達や親、兄弟、または、セラピストに相談をしたりして、なんとかそこから抜け出ようと、あがくのですが、魔法のように一晩寝たら、全て状況が変わっていたという事も、あまりない。
自分は何をしているのだろうか?
自分はどこへ行くのだろうか?
自分は正しい道を選んでいるのだろうか?
神がいるというのなら、なぜこんなに辛い目にあわせる?
いつになったらこの状態から解放されるのだろう???
もういやだぁ〜〜〜!!
なんて現象を乗り越えた、その先の自分。
その自分は、霊的に成長していて、今よりも余裕のある自分。
回りへの偏見と思い込みが減って、寛容になっている自分。
羽が生えたように、軽く、すいすいと飛んでいるように生きる自分。
そんな自分になりたいと願ったことはありませんか?
願いは成就されます。
あなたの願ったものが手に入ります。
それでは、究極の鏡を見ているなぁ〜 と気付いた時の対処法をお話しましょうね。
ご自分で「究極の鏡を見ているなぁ」と思ったら、すかさず、その先の自分をイメージして、その自分ならどうやって対処するだろうか?と、考えてみてください。
そして、実行してみましょう。
これが、大事です。実行するんです。
アファメーションは、実行するために力をつけてくれます。安心を与えてくれる時もありますし、きっかけを与えてくれる時もありますが、事実、祈っているだけでは何も変わりません。
欲しいものは掴みに行きましょう。
失敗を恐れて動けないのなら、それを自分で認めましょう。
下手な理屈は、探さないようにします。
アファメーションをずっと心の中でつぶやきながらでも、理想の自分の姿を表現してみましょう。
「簡単にはいかないのよね」って声が聞こえてきそうです(^^)
ええ、簡単じゃないと思います。
だから「究極の鏡」なのです。
簡単でしたら、すぐに忘れてしまうのでしょうね。
究極の鏡を見ることになった原因は、その鏡の先の自分を手に入れたいと望んだからです。
それも「苦労を乗り越えなくては手に入らない」と、どこか自虐的に考えてしまったために、厳しい現実を引き寄せているようです。
結局、どうにもこうにも行かなくなり、一人でできること、考えられることは、全てで尽くしてしまい、どうしようもなくなってから、開き直るようになるんですね。
「はい、わたしは、できる限りやりました。もう何も出てきません。あとはどうなるのか結果をお見せください。私に分かりやすい方法で、結果を見せてください」
なんて、全てを手放して、考えることすら止めた時、光が広がりだすのです。
始めから、執着しないで、こだわらないで、手放していたら、それほどひどい究極の鏡は見ることもありません。
また、究極の鏡を見かけたら、すぐに手放せば、それほど苦労はしないでしょう。
まぁ、そう簡単に行かないから、困っちゃうんですよね。(^^)
人には、学ぶ時期というものがあります。
もし、今が学ぶ時期であるとご自分で思うのでしたら、今、きちんと学びますと、将来がどんどん楽になっていきます。
一人で学ぶもよし、セラピーを定期的に受けて、お休み処を確保するもよし。
正しい方法などありませんから、お好きな方法であれこれ楽しんでみてください。
学びは本来、楽しく、生き生きとする、素敵な娯楽なのです。
いつの間に、修行っぽくなっちゃったのでしょうね?(^^)
〜案内人 稚恵子〜
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